広島東洋カープが7度目の優勝を遂げる そんな中初優勝のことも思い出しています。 昭和50年10月15日(水)夕方後楽園球場で決まりました。

 

 昭和50年3月 新幹線が博多まで 延伸

昭和50年は 新幹線も 博多まで伸びて広島~東京間も 6時間たらずで 行けるようになった。 それも相成って 当日後楽園球場はカープファンが押し寄せた原因のひとつだと思います。 ちなみにこの年から小学校の修学旅行でも山口に行っていた行先も 新幹線を利用し京都奈良へ変わりました。 行先で体育の赤白帽 赤にしていて広島から来たと答えると 「赤ヘル軍団や」 と言われ まちがいなく社会現象で全国の皆さん 認知していたようです。 

 

赤に変わった帽子ヘルメット

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73年から 帽子は紺 マークは C ユニフォームは 白とビジター用の青 そして75年に指揮を執ることになったルーツ監督によりチーム改革する際まず チームカラーを情熱の赤にすることから始めました。 しかし資金不足のため帽子ヘルメットだけ赤に ・・・ ほんとはユニフォームも赤くしたかったそうです。赤ヘル軍団の起源はこの年です。

シーズンなかば 5月を過ぎても

よく5月で息切れすると言われてはいますが 今年は調子いいね~ と 言う声はありました。 オールスターゲームで 山本 衣笠 アベックホームランで 赤ヘル旋風はさらに加速することになるのです。

10月15日当日

後楽園のデーゲーム 学校で放課後残ってみることになり 教室のテレビで観戦でした。 そうなんです夕方5時にもかかわらず 帰るようにと おとがめなく みんな見てました。 いまだったら なかなかできないことです。 たぶん・・  この日広島市内では しずまりかえって クルマの通りもなくみんな一生懸命 食い入るようにテレビ観戦だったようです。(カープ誕生物語より) この初優勝は 球団創設26年ともに 戦後30年の年 カープの黄金期がはじまり ました。

    

 

あまり見ていなかった私もこの年にファンになったわけです。 そんなもんですよね。